大阪府知事の恐怖政治にパチンコ店ついに屈する
こんばんは、よっぴーです。
自粛要請にも世間の目にも負けずに営業を続けていたパチンコ店が、とうとう白旗を上げて休業となりました。
普段の5、6割程度の客数で、マスク、消毒、喚起と対策を取った上で運営した居たところ、大阪府による店名公表→客殺到→従業員と顧客の安全が確保できないというのが理由だそうです。
実際には、店名公表にという私刑執行により、クレームやら脅しやらがあったことも想像されます。
私の立場をはっきりさせておくと、パチンコ店の営業継続については賛成でも反対でもありません。休業余生に対しては、各企業の自主的に判断して営業継続か休業かを決めればいいのですから。
もちろん何の対策もなく平常時と同じように、ということであれば反対です。ですが、一般的に言われるマスク、消毒、喚起、距離を取るといったことをしていれば反対する理由はありません。
そもそも、異様なまでに盛り上がるパチンコバッシングな何なのでしょうか?
その根底にあるのは、端的に言えば「嫌悪」でしょう。
明らかにギャンブルにもかかわらずギャンブルでないと言い張り、そのために考案された3店方式といううさん臭い形態。そして、認可を与えている警察からパチンコへの天下り。
さらに、そこへ通い詰める客の面々。まっとうな人もいるでしょうが、メディアに取り上げられるのはお世辞にも尊敬できるとはいいがたい人々ばかりです。
それでも、そもそも不要だからや、嫌いだからだけで判断するのは危険です。
要不要も好き嫌いも人によって異なるからで、その判断を国家にゆだねた結果おきた悲劇を人類は経験してきました。最初は誰もが熱狂的に支持し、どうしようもなくなってから過ちと気付く。
吉村大阪知事を評価する人の中にも、かつてトランプ大統領のポピュリズムを批判していた人がいることでしょう。
物事は感情的に判断するではなく、合理的に判断しなければ、その先に待っているのはグロテスクな世界でしかありません。同じことをしていても、ある人は許され、ある人は罰せられる。そこに正義もへったくれもありません。
やがて、相手への妬み、憎しみだけが全てとなってしまいます。
今回のパチンコ店に対する行政の行いが正しいと言うのならば、営業を続けている飲食店と何が違うのでしょうか。
複数人が面と向かってマスクもせずにおしゃべりし同じ皿から料理を分け合う飲食店と、マスクをして台に向かって黙々と遊技に打ち込むパチンコ店。普通に考えれば、どちらの方がよりリスクが高いかは明らかです。
それでも飲食店の人は許されるが、パチンコ店は許されない。何故こうまで対応が異なるかと言えば、その基準が嫌悪という感情でしかないからです。
これが如何に理不尽化は、サラリーマンなら誰しも知っているでしょう。サラリーマンが人事考課で感じる不満は、そこに上司の好みが反映され、純粋に実績だけで決まっていないことを漠然と感じてしまうからです。
言っておきますが、私は飲食店の営業継続に反対しているわけではありません。店主の自主的な判断で行っている限り、継続使用が休業しようがその判断を支持します。
私が批判しているのは、感情に任せて行動する普通の人々です。
マスクの高額転売に怒って政府を動かし規制した結果、マスクは安く手に入りましたか?
マスクが高くなったのは需要と供給の関係が崩れたからで、それ以上でもそれ以下でもありません。後にも先にもこれ以外の理由は見つからないでしょう。
それでもオークションサイトに並ぶほんのわずかな高額マスクに怒って規制した結果、誰の手にも入らなくなったのです。(最近では、食料品店や服屋で出どころ不明なマスクが手に入るようですが。)
マスクの転売規制の無意味さを知ってなお、感情に任せて判断することの誤りを学べていないとすれば、もはや政治家を無能と罵ることすらむなしく見えてしまいます。
こんな時だからこそ、物事を冷静に判断していきたいものです。
それではまた!